Coaching Philosophy④

みなさん、こんにちは。

③の続きです。

ここからドリル一辺倒だった「ドリラー」からちょっと変わってきて、「如何に原則を教えるか」ということに考えがシフトして来ました。

と同時に、アメリカのドリルを日本でやった時に感じる「手応え」以上に「違和感」を覚えるようになってきたんです。

①で説明した通り、一般に日本で信じられているのとは異なり、アメリカの方が”バスケット”に関するコーチングはずっと細かい。

だからそのドリルを日本でやれば、やったことが無い分だけ選手は上手くなるし、手応えはある。それは間違いないんです。

でも。。。

ユタ大学とDUKE大学を観て比較した時に感じた「不自然さ」、いやむしろDUKE大の選手達がやっているようなのびのびとしたプレイは出来ない、と。

自分も当時はまだたまにプレイをしていたので、知識がつくにつれ、それをコート上でプレイヤーとして表現しようとすると妙な窮屈さを感じるようになりました。

「この位置の時は45度の角度でVカット」とか、「ここにボールが入ったら、ここの選手はダイブ」とか、「フレアスクリーンの時はスクリーンに向かってドリブルし、アングルを変えてパス」とか、「どのスタンスでどのタイミングでスクリーンをかける」などなど。。。

一つ一つはすごく大切ですし、有効なことなのですが、全部考えてプレイ出来ないし、プレイしていてもバスケットボールがつまらない。それに、そうしたらうまくいくこともあるけれど、うまく行かないときもある。

日本人はバスケットボールに限らず「判断力や決定力が弱い」と言われ、その理由を文化や教育システム、明治時代や江戸時代にまで遡って説明される方もいらっしゃいます。その理論はわかるし、納得もしますが、一方でそういってしまえば、コーチとしてもうどうしようも無いとしか言いようがなくなる部分もある訳で。。。(そこまで考えてお話される方の多くは「だからこうしなきゃならないんだ!」というような自分なりの解答や解決策を持ってらっしゃる方が多いのですが、自分はそこを考えてしまうと「今自分が目の前の選手に出来ること」を考える感覚がなんとなく狂う気がするんです。)

アメリカってピックアップゲームなど、年上、年下関係なく、世代や実力を超えて自由にプレイする場があるんですね。

だから誰の縛りも受けずに自由にマイケル・ジョーダンやらレブロン・ジェームスの真似を思い切り出来る場がある訳です。

アメリカのコーチの中にはこうしたピックアップゲームで悪い”癖”(ビハインドバックパスや多過ぎるドリブルなど)を身につけないように、オフシーズン中のピックアップゲーム参加を禁止するコーチもいます。

そう考えると、アメリカではドリルをたくさんやって、プレイをある程度”制限”することで、こうした悪癖を取り除いたり、抑制する作用があるのではないか、とある時そう思ったんですね。逆に部活動や指導者がいる場所でしか、バスケットが出来ない日本では、アメリカと同じ”ドリル”を使うとドリル以上の選手は育たないのではないのか、と。

じゃあ、ピックアップゲームをやれば良いとも考えたこともありますし、今でもそうした考えは持ってはいますが。。。。

でも海外のドリルだけを持って来てもだめだな、と。そう感じ始めたのでした。

(さらに続く)